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愛知歴史探訪🐅 加藤清正編2
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
今回は再び、歴史ブログです。
前回までは、家康vs秀吉の戦いを紹介してまいりましたが、
その二人にも大変ゆかりの深い武将、加藤清正の続編です。
以前のブログでは、秀吉の出生地の近くに、清正の出生地があることを紹介いたしましたが、
こののち、清正は、父の死去をきっかけに、叔父の家があった愛知県津島市に居を移しています。
その叔父の家のあったと言われる跡地に、神社が建てられています。
清正公社と書かれています。
本当に小さな神社のうえ、非常にわかりにくいところにあるので、探すのに苦労をしました。
神社のなかには、幼少のころ、盗人を退散させたとエピソードが紹介されています。
津島には、ほかにも、清正が手習いに通ったお寺もあったようですが、時間がなくてそちらは伺うことができませんでした。
残念です。
津島市は、ほかにもいろいろな武将と関わりのある土地柄ですので、
いつか紹介できればなあと考えております。
加藤清正は、秀吉子飼いの武将で、
秀吉にはずっと子供がいなかったため、
秀吉の正室である北政所(ねね)は、清正を非常に可愛がったといわれています。
清正は、秀吉の臣下として中国遠征や、明智光秀との戦いとなる「山崎の戦い」などで武功をあげ、
織田家の後継争いとなった賤ケ岳の戦いでは、「七本槍」のひとりとして数えられました。
秀吉亡き後には、家康に接近し、
家康の養女、清浄院を正室として迎えています。
信長の死、秀吉の天下、そして徳川の時代へと
非常に大きな歴史の転換点を、間近で見てきた加藤清正は、どんな人物だったのか、
それは次回の清正編3でご紹介したいと考えております。